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サクセスストーリー:

らくだサービスの青年

 

プロローグ

佐藤翔太、39歳。かつてIT業界で名を馳せたエリートとして、彼の日常は常に忙殺されていた。光り輝くキャリア、早朝から深夜までパソコンに向かう日々。けれど、その華やかな日々の中で、彼は一つの現実に直面していた。それは、大切な母が次第に身体の衰えを感じるようになってきたこと。母はいつも笑顔で活発だったが、今では杖をつき、さらには車椅子を使うまでになっていた。

「家族を支えるのが自分の役目だ」。そう思った翔太は、母のために福祉車両を購入し、両親をあちこちに連れて行くことを決意する。その決断は、彼の人生を大きく変えるきっかけとなった。母の嬉しそうな笑顔を見るたびに、翔太の心には温かいものが満ちていった。それは、彼が忘れかけていた「本当の幸せ」だった。やがて、親戚や母の友人からも「その車を貸してほしい」という依頼が増えていった。そして翔太は気付く。「外出を待ち望んでいる人がこんなにもいるんだ」と。

益々の少子高齢化は言わずもがな、公共の場のバリアフリーが進む中で若い人からお年寄りまで足の不自由な方々の外出先は少なからず整備されていく一方で、圧倒的に移動手段が不足している。

 

よくよく考えてみるとボクだって歳を取るし、いつまでも今と同じように外出できるだなんて能天気な思い込みに過ぎなかった。当たり前の事だけど誰だっていつまでも気軽に外出くらいしたいじゃないか。

彼は心の奥底で、誰もが気軽に外出できる未来が必要だと痛感するようになった。

いつしか彼は心の奥深くである思いを抱くようになっていた。「誰もがいつまでも自由に外に出たいと思っている。それを叶えるために自分ができることがあるのではないか」と。そんな中で運命的に目にしたのが、「介護タクシーらくだサービス」の求人だった。

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新しい道

翔太は介護タクシーの仕事(一般乗用旅客自動車運送事業(福祉輸送事業限定)という新しい世界に飛び込むことを決意した。入社初日、ピカピカの介護車両を前に、彼の胸に緊張が走った。「自分にできるだろうか?」という不安が頭をよぎる。だが、その車両に乗り込み、運転席に座ると、その不安はすぐに使命感へと変わっていった。新しい道が開かれた瞬間だった。彼の心には新しい目標が芽生え始めていた。

最初の数週間は、経験のない仕事に戸惑うばかり。シートの調整や安全確認、乗降のサポートなど、一つ一つが新しい挑戦だった。介護業界の知識もなければ、車椅子の取り扱いも未経験だった。それでも、翔太は先輩たちの助言を受け、必死に学び続けた。一般のタクシーとは違い、介護タクシーのドライバーは、必要に応じてお客様のご自宅のベッドから車椅子へ移乗して、ご利用者様の身体をお預かりして寄り添いながら目的地まで安全に送り届けるという大きな責任を伴っていた。

利用者一人ひとりの表情、体調、そして心の声に耳を傾けながら、翔太は少しずつ成長していった。時に微笑みを交わし、時に励ましの言葉をかける――それは、かつてのIT業界では決して得られなかった、人間としての深い充実感だった。

困難と乗り越え

しかし、すぐに困難が立ちはだかった。ある日、翔太は早朝より雪の降る積雪の日を担当することになった。道路が滑りやすく、運転には細心の注意が必要だった。プロドライバーとして二種免許を取得してはいたが、普段の運転とは違う、雪道での介護タクシーの運行に不安を感じた。さらに、その日には特に緊急性の高い利用者が多く、時間通りに到着しなければならないプレッシャーもあった。

彼はまず、安全運転を心掛けながら、先輩にアドバイスを求めた。豊富な介護タクシードライバーとしての経験からくる小野先輩のアドバイスに翔太は何度も救われている。雪道での運転に必要なテクニックや、減速時のブレーキングやハンドル操作のコツを学び、慎重に運転を始めた。途中で一度、車が雪のぬかるみにタイヤがはまり、自力では動けなくなるスタック状態にしてしまったが、冷静に車を押して解決し、遅れを取り戻すことができた。結局、すべての利用者を安全に届け終えた時、翔太は心の中で「乗り越えた」という自信を深く刻んだ。

 

次に直面した困難は、業務の忙しさと精神的な疲労だった。仕事が終わった後も、利用者の体調や家族とのコミュニケーションの問題で心が休まらなかった。特に、ある利用者が急な体調不良を訴えたときには、適切な対処方法を模索しなければならなかった。医療知識が不足していた翔太は、医療機関と連携し、迅速に対応するために努力した。

 

さらに困難が続いた。ある夏の真昼、翔太は熱中症で倒れた高齢者の家から急いで病院へ搬送する任務を受けた。気温が非常に高く、車載クーラーを最大にしても社内の温度は冷え切らない状況の中、利用者の状態が心配された。翔太は冷静に対応し、車内に持参した冷却シートを使って高齢者の体温を下げ、適切な処置を施しながら移動を続けた。病院に到着したときには、医師から「迅速な対応が功を奏し命を救った」との言葉を受けた時、自分のこの仕事が人を救う仕事である事を身をもって実感した。

 

また別の困難として、翔太は突然のシフト変更や夜間の緊急対応にも直面した。プライベートの時間が犠牲になりがちで、家族や友人との関係にも影響が出た。そんな中で、彼は自己管理の重要性を学び、ストレス管理のテクニックや効率的な時間の使い方を身につけることに努めた。

 

奉仕の精神

翔太が入社してから数ヶ月後、創業者である三宅社長と面談する機会があった。三宅社長は、彼に「奉仕の精神」について語った。三宅社長は、介護タクシーの仕事がただの移動手段ではなく、利用者さんの人生に深く関わるものであることを強調した。「本当に大切なのは、心からのサービスを提供することです。利用者さんの笑顔や安心感が、我々の最大の報酬です。」と三宅社長は言った。その言葉は翔太の心に深く刻まれた。

 

この教えを胸に、翔太は仕事に対するアプローチを変えた。ある日、翔太は常に無愛想な態度を取っていた利用者さんと出会った。彼は最初、利用者さんの態度に戸惑いながらも、三宅社長の言葉を思い出し、心からのサービスを心掛けた。利用者さんの好みや趣味に関心を持ち、車内での会話を工夫した。徐々に利用者さんも心を開き、次第に笑顔を見せるようになった。その後、利用者さんから「あなたのサービスで元気をもらいました」と感謝の言葉を受け取ったとき、翔太は「奉仕の精神」がどれほど強力なものであるかを実感したと同時に、涙が溢れそうになるほどの感動を覚えた。

 

さらに、翔太は「奉仕の精神」を活かして地域社会にも貢献しようと考えた。ある日、地元の老人ホームから依頼を受け、施設のイベントで利用者さんたちを送迎する任務があった。イベント当日、予想以上の混雑とトラブルが発生したが、翔太は冷静に対応し、利用者さんたちがイベントを楽しめるように尽力した。その姿勢は、他のスタッフや利用者さんたちにも感銘を与え、「らくだサービス」の信頼をさらに高めた。

 

資格取得と専門性の向上

翔太は自身の成長をさらに促進するため、介護タクシーの業務に関連する資格取得にも取り組んだ。まずは、消防庁が主催する「患者等搬送乗務員適任者」の研修に参加することに決めた。この研修では、緊急時の対応や、利用者の安全な搬送方法について学ぶことができた。研修を終えた翔太は、無事に適任者証を取得し、その資格を「民間救急」というワンランク上の介護タクシー事業者としての業務に活かすことができるようになった。

また、翔太は介護福祉士の資格取得も目指し、勉強を始めた。仕事の合間を縫って専門書を読み、過去問に取り組む日々が続いた。試験前には同僚たちと勉強会を開き、情報交換や問題解決に取り組んだ。試験当日、緊張しながらも、自分の努力を信じて挑んだ結果、翔太は介護福祉士の国家試験に見事合格。この資格取得により、彼の専門知識はさらに深まり、より多くの利用者さんに質の高いサービスを提供できるようになった。

そんなある日、某医科大学の救急救命センターを拠点とする、搬送学会が日本に設立された。

翔太は迷わず搬送学会の正会員となり初のシンポジウムにも参加する事にした。

​そこで出逢った多くの搬送に関わる多くのプロフェッショナルとの出会いは翔太の生涯の財産となった。

そうした彼の積極的な学びの場への参加は、現場の技術だけでなく、彼の業界人としての視野を広げる事になり、

人としての成長も遂げた翔太は、より一層の自信を持つようになった。

成長と挑戦

数年が過ぎた頃、翔太は仕事に自信って仕事に取り組めるようになっていた。利用者の笑顔や、感謝の言葉が彼を支え、彼の毎日はかつての忙殺される日々とは全く違った充実感に満ちていた。先輩たちとのコミュニケーションもスムーズになった。業務の効率化を考える中で、彼は送迎に必要な業務の一部をデジタル化する提案をした。具体的には、ナビゲーションシステムやスケジュール管理を効率的にするためのアプリを導入することだった。

 

ご利用者様の体調の変化などでの急な予定の変更は日常茶飯事だ。スマートフォンを使って関係する全ての乗務員や施設へ一斉に情報が配信されるような仕組み作りも必要だった。また運転中も耳を塞がずに安全に通信が出来る手段の導入も必要だ。最初は反対意見もあったが、翔太の情熱と根気強さが実を結び、試験的に導入されることになった。

 

アプリの導入は成功し、利用者さんの移動や関係する施設や医療機関との連携がスムーズになった。翔太の提案は評価され、彼は管理職の役割を担うことになった。新人教育やシフト管理など、仕事の幅が広がる中で、彼のリーダーシップも育まれていった。

翔太は、運行管理者として日々のシフト調整に奔走していた。しかし、ある日のシフトで急な人手不足に直面。夜遅く、顧塚さんに無理なお願いをしてしまった。顧塚さんは、予定があったにもかかわらず、快く応じてくれた。翔太は、感謝の気持ちでいっぱいだった。翌朝、顧塚さんが出勤すると、翔太は「本当にありがとうございました。顧塚さんに相談できて本当に助かりました」と、心からの感謝を伝えた。プロドライバーとして20年以上の大ベテランの顧塚さんはにっこり笑い、「それが僕の役割だよ。どうしてもって時には乗務するからね。外出に困っている人がいたら積極的に承るんだよ」と答えた。その言葉に、翔太は感謝の気持ちを新たにし、チームの絆を深めることができた。

コミュニティへの貢献

地域の福祉イベントが近づくと、翔太は「らくだサービス」を代表するスピーチを頼まれた。彼は自分がこの仕事を通じて学んだこと、そして地域の人々との絆の大切さについて語る機会を得た。スピーチでは、「介護タクシーは単なる移動手段ではなく、人と人とのつながりを深める大切な役割を担っている」と熱く語った。その言葉は、聴衆の心に強く響き、多くの人々に介護タクシーの重要性を伝えることができた。

 

エピローグ

翔太は「らくだサービス」での経験を通じて、自分の生きがいを見つけることができた。最初は不安だったが、今では地域の人々の生活を支える仕事に誇りを持ち、仕事に対する新たな熱意を感じている。彼は困難に直面しながらも、成長し続け、地域の一員としての役割を全うしている。翔太の挑戦と成長は、予期しない形で彼自身の人生に豊かな彩りを加え、未来への希望を灯した。利用者の笑顔に支えられ、彼の仕事に対する情熱はますます強まっていた。これからも「らくだサービス」での経験を活かし、地域に貢献し続けるだろう。

翔太は今、らくだサービスでの仕事を心から誇りに思っている。不安に押しつぶされそうだった最初の頃から、今では充実感に満ちた毎日へと変わり、これからも地域社会に貢献し続けるだろう。彼の挑戦と成長は終わらない。

利用者の「ありがとう」の言葉や、その笑顔こそが、彼にとって最大の報酬だ。

​ふとした瞬間に彼は思う。「自分はこの仕事をして本当に良かった」と。

誰かの笑顔を支えるために、らくだサービスは今日も力強く走り続けている。

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