サクセスストーリー:
希望のハンドルを握って
髙橋富士丸(たかはし ふじまる)は、大学卒業後、世間が望むような大企業への就職を選ばなかった。彼の心に灯っていたのは、もっと大切な「人との絆」を支える仕事。そんな彼が就職先として選んだのは、東京の下町で細々と運営されている小さな介護タクシー会社「らくだサービス」だった。
会社は創業から20年を超え、創業者の三宅が地域の障がい者や高齢者たちの足となり続けてきたが、近年は赤字続きだった。老朽化した車両、減り続ける依頼、そして経営の重圧、さらには自分自身の高齢化に伴い抗がん剤投与の開始が間近に迫っている三宅は、会社の存続に常に危機感を感じていた。
「富士丸君、本当にうちを選ぶのかね? 君みたいな若者なら、もっと大きなところに行けるだろうに…」
三宅の言葉に、富士丸は力強く笑みを浮かべて答えた。「おじいちゃん、おばあちゃんたちのために自分の力を使えるなら、それが一番やりがいのあることです。どうか、僕にやらせてください!」
富士丸がこの仕事を選んだのは、個人的な理由があった。彼の最愛の祖母が晩年、認知症を患い、介護タクシーを使って通院していた。その際に、運転手たちの温かい対応がどれほど祖母の心を和らげたかを目の当たりにし、富士丸もまたそのような存在になりたいと心から願うようになったのだ。
その時から彼は、某有名大学に進学していたにも関わらず在学中から、大型二種免許だけでなく運行管理者資格などの国家試験を含めて車に関わる免許は全て取得して準備をしてきたのだ。
しかし、現実は厳しかった。古びた車両に疲弊する高齢スタッフ、そして次第に減少していく利用者たち。会社は時代の波に押し流され、かつての温もりを失いかけていた。
「どうすれば、この会社を立て直せるんだろう…」
富士丸は夜遅くまで、事務所の薄暗い机に向かって考え続けた。考えれば考えるほど見えてきたのは、地域との結びつきが薄れていることだった。高齢化社会の中で、確実に介護タクシーのニーズはあるはずなのに、なぜこの会社に依頼が集まらないのか? 富士丸は調査を重ね、答えにたどり着いた。
「もっと、地域の皆さんとの信頼関係を築かなければ…」
富士丸はまず、地元の商店街や自治会に自ら足を運び始めた。顔見知りになることで、徐々に地域の人々からの信頼を得ていった。彼の熱意と優しい人柄は、最初は警戒されながらも、少しずつ周囲の心を溶かしていった。そして、依頼が少しずつ増え始めた。
同時に、富士丸はインターネットやSNSを活用したマーケティングにも力を注いだ。会社のサービスの質を向上させ、介護タクシーの利用者が感じた温かいエピソードをインターネット上で積極的に発信することで、次第に口コミが広がっていった。
ある日、富士丸が送迎していたのは、長年連れ添った老夫婦だった。病院からの帰り道、奥さんが車内で涙を浮かべながら夫に手を握られていた。長年寄り添った夫婦が今も互いを大切に思う姿に、富士丸は祖母を思い出していた。
「足、大丈夫ですか?痛みが強いですか?」富士丸は優しく声をかけた。
その瞬間、奥さんは泣きながら微笑み、「ありがとうね、こんな若いのに、本当に優しいね…」と感謝の言葉を漏らした。その言葉に富士丸は胸が締めつけられるような感動を覚えた。自分が誰かの支えになっていること、その確かな実感が心を温めた。
日々の積み重ねがやがて実を結び、半年が経つころには、会社の経営は次第に安定し始めていた。スタッフたちも疲れた表情を少しずつ消し、笑顔が戻りつつあった。そして、所長代理の佐藤翔太は富士丸に感謝の言葉を伝えた。
「君が来てくれなかったら、この会社の存続も危うかったかもしれない。本当にありがとう…」
富士丸は静かに頭を下げ、佐藤の言葉を受け止めた。「僕ひとりの力じゃありません。先輩の皆さんが一緒にいてくれたからこそです」
その後も、富士丸はらくだサービスをさらなる高みへと導くべく、新たな取り組みを進めていった。彼の手には、希望を象徴するハンドルがしっかりと握られていた。
数年後、らくだサービスは地域で評判の「心のこもったタクシー」として多くの人に愛される存在となっていた。富士丸は車窓から夕焼けに染まる街並みを眺めながら、ふと思い出した。祖母のために始めたこの道が、今や多くの人々を照らす光になったことに感謝しながら。
その時、富士丸の心は、温かな充実感で満たされていた。彼は、自分が祖母に誓ったあの約束を、果たしたのだと感じていた。
誰かの笑顔を支えるために、らくだサービスは今日も力強く走り続けている。
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